ハングル(한글)とは、何か?
ハングルは韓国と北朝鮮で使われている表音文字です。
「ハングル文字」ともいいますが、「グル」という単語が「文字」を意味する言葉なので、「ハングル」だけで表記した方がいいかと思います。
ちなみに、「글(グル)」という単語は、漢語ではなく、純粋な韓国語です。
글(グル)を漢語に置き換えると、문자(ムンジャ/文字)になります。
こういった純粋な韓国語の語彙を「순우리말(スンウリマル)」若しくは 「순수한 한국말(スンスハンハングクマル)」といいます。
ハングルはモンゴルのパスパ文字を参考にして考案されたといわれています。
ハングルの歴史
ハングルは、李氏朝鮮の4代王世宗の治下だった1443年に創製されました。
当時の名称は、「訓民正音」であり、ハングルとは後世に名付けられたものです。
又、文字の名称と同名の書物も1446年に刊行されましたが、その内容は、新しい文字を漢文で解説したものでした。残念ながら、この「訓民正音」の原本は現代には残っていません。
1940年に、安東で訓民正音の原本らしきものが発見されて、話題になりました。
「訓民正音」解例本
韓国の国語学界では、この版本を「訓民正音」解例本と名付け、国宝に指定しましたが、これも原本ではないです。死後に与えられるはずの諡号(世宗)が記載されていることから、世宗治下ではなく、後世に書かれたことが判ったのです。
漢文で書かれていた原本とは別に、原本の内容をハングルに訳した「訓民正音」諺解本というものが1459年に刊行されており、この本は現代にも残っています。
「訓民正音」諺解本
前述に、ハングルはモンゴルのパスパ文字を参考にして作ったといいましたが、それについて、少し詳しく説明しましょう。
「朝鮮王朝実録」の世宗偏(世宗莊憲大王實錄)には、「象形而字倣古篆」という記述があります。ここでいう「古篆」がパスパ文字といわれています。
“象形而字倣古篆”
形を象りて、字は古篆に倣ふ
李氏朝鮮が建つ前の高麗時代は約100年間のモンゴル支配期(1249年~1356年)を経ており、モンゴル支配期では、高麗の人々も漢字と併せてパスパ文字を使用していました。
李氏朝鮮は明朝の属国であったため、明朝の敵であるモンゴルの名を老骨的に表すことを躊躇して「古篆」という表現を使ったと思います。
又、李瀷(1681年~1764年)の「星湖僿說」や柳僖(1773年~1837年)の「諺文志」にもハングルはパスパ文字を真似て創ったと記しています。
“我世宗朝命詞臣, 依蒙古字樣, 質問明學士黃瓚以製“
我が世宗は臣に、モンゴル文字に依り、明の黃瓚に質問して創るように命じた。
諺文志より
当時、訓民正音を創った目的は、漢字の正確な発音を示すためでした。あくまでも主文字である漢字を補助するツールにすぎなかったのです。公文書はすべて漢字で書かれており、近代に至るまでハングルが使われることはありませんでした。
その理由は、宗主国である明朝と違う文字を使用することは裏切り行為だと、憚ったからです。李氏朝鮮は明朝の属国として、忠誠を示すことに徹したため、折角創られた独自の文字を活用できず、死蔵したまま、時は流れていきました。
漸くハングルが韓国人の間に普及するようになったのは、19世紀末になってからです。それはある日本人の努力によるものでした。
その人物とは、福沢諭吉です。
朝鮮半島では、19世紀になっても文盲率が90%を超えていました。福沢諭吉は、その原因が難しい漢字専用の文字体系にあると判断し、朝鮮の現状を打開するため、親日開花派の朝鮮独立党のメンバーたちと協力してハングルの表記法を整理し、日本と同様に国漢文混用でのハングル使用の普及に尽力しました。
福沢の弟子である井上角五郎は、ハングルを用いた最初の刊行物である「漢城旬報」を1884年に発刊しましたが、真の意味で、ハングルの夜明けはここからです。
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