2021年5月7日金曜日

文在寅大統領をディスるカフェー出現

韓国のソウルに弘益大学校という大学があります。

その大学周辺は若者たちで賑わう場所で、東京でいうと渋谷のようなところです。

その一角でカフェーを営んでいるオーナ現職現職大統領をディスる文をお店の黒板に書いたとしてネットで話題になっています。

下の写真がその黒板です。



   黒板内容の翻訳

今週

文災殃の業績

1.一般人の青年を侮辱罪で自ら告訴

2.ファイザー?AZ?

 ワクチン2次接種

国民の誰よりも早く

3.寝腐る


皆さんは、「これは一体なんの話だろう」と思うでしょうから、解説を加えましょう。

まず、「文災殃」とは、大統領の本名「文在寅」を捩ったニックネームです。

災殃の読み方が재앙(ジェアン)なので本名の재인(ジェイン)とは語呂合わせとなり、「韓国の災殃である」という意を含みます。

1.一般人の青年を侮辱罪で自ら告訴とは、ある保守系団体の青年が文大統領を非難するピーラーを街頭で配布したとして訴えられた事件です。

青年がピーラーを配ったのは昨年7月のことで、実は告訴人が大統領であったことが発覚し、最近ネットで話題になったものです。

ネットの話題に上がったからには、「表現の自由を制限」する措置だと非難が殺到しました。過去、軍事独裁政権の下では、勿論こんな表現の自由なんか無かったのですが、1987年に軍事政権が終わった後は、自由化が進み、2000年以降には、大統領を揶揄・風刺する行為が寛大に許されるようになったのです。

文政権になってからは、こういった「表現の自由」を制限しようとする動きが顕著で、国民の間で「独裁政権に回帰するのでは」と憂慮の声が上がっています。


2.ファイザー?AZとは、コロナウィルスのワクチン確保を巡って韓国政府の無能さが露呈された件です。

韓国政府はファイザーのワクチンが確保できず、AZなど、他社のワクチンを確保しましたが、国民の間では、AZワクチンの副作用が広く知れ渡り、懸念が高まっていました。

ある野党の議員は、この問題を指摘し、「AZのワクチンが本当に安全なら、大統領が最初に接種するべき」と主張しました。それに対し、与党が「大統領が最初に接種?実験対象ではあるまいし」と反論し、野党から「じゃ、国民は実験対象なのか」と反発を食らったことがありました。これは2021年2月の出来事ですが、4月には、「大統領夫妻がAZワクチンを公開接種した」と政府が発表したのです。

黒板の文は、「接種したのは、本当にAZのワクチンだっただろうか」と仄めかしているのです。


3.寝腐る

これは、有名な話ですが、文大統領は会議や会談の途中、寝るくせがあります。

日本の国会議員の中でも会議中によく居眠りする人はいますが、文氏の場合はちょっと程度が違います。重要な席上で、注目が本人に集中していてもめげずに寝ます。

なので、マスコミのカメラでこくこくしている様子がかなりの頻度で撮られています。








 


2021年5月6日木曜日

【ニュース解説】韓国の20・30代の若者たちはなぜ、文在寅が嫌いなのか

 記事原文


現代ビジネスの「文在寅は『嘘つき』『大嫌い』…韓国“20・30代若者”たちの『ヤバすぎる本音』を全公開する!」という記事を見つけました。韓国の若者たちが左派政権を嫌う傾向にある現状をキャッチしたもので、韓国の世代間の考え方の違いや変化が判るため、興味深い内容でした。それで、少し私の感想や解説も述べたいと思います。

記事の内容は、セウォル号惨事7周年を迎えた今、若者たちの間で文政権の支持率が低落した現状を数人の若者たちのインタビューを交えて紹介しています。

この記事は、インタビューを通して20・30代の若者たちがとくに「社会の不平等」、「男女の葛藤」、「北朝鮮寄りの外交」、「不動産価格の高騰問題」等の問題点に対して不満を持っていると伝えています。

ここで列挙したイシューは、韓国のネットでよく議論噴出するネタですが、私の個人的な感想では、「北朝鮮寄りの外交」と「不動産価格の高騰問題」の二点が世代間の思想変化をよく表していると捉えます。

「社会の不平等」は、昔からずっと取り上げてきた問題ですね。

「男女の葛藤」については、少し補足説明が必要になるかと思います。

文在寅は大統領選挙での公約として「性平等」を掲げていました。

そのため、世間からよくフェミニスト大統領と言われています。ネット上で「男性に対する逆差別」を訴えながら文大統領を批判する声が目立ちますが、実際はどれくらいの若い男性がそれに共感しているのかは未知数です。

ネットの書き込みは、若い世代が遙かに活発に行っているため、「ネット世論=若者の認識」という公式が成り立ちます。韓国はネット世論が社会に対して強い影響力を持つ国として有名で、ネットで話題沸騰すると、マスコミがすぐ取り上げてくれます。

今年4月7日に実施されたソウル市長選挙で野党「国民の力」の候補が与党「共に民主党」の候補に勝利しましたが、その際、選挙後出口調査で20・30代の与党離れが明るみに出ました。

2021年4月7日ソウル市長選挙後の出口調査結果


二党の他にも候補を出している政党がありますので、両方の数値合算は100%を少し下回ります。この結果を見ると、40代でのみ与党が優勢です。50代の場合は、50代前半は与党より、後半は野党よりと言っていいでしょう。

ここで40・50代の間では、なぜ与党、即ち左派が優勢なのかを説明しましょう。

80年代の学生運動を主導していた人たちの多くが政界に進出しており、文政権でも中枢を担っています。彼らは組織結成や活動方法については、60年代の日本の学生運動を大部分踏襲しています。一方、思想としては北朝鮮の「主体思想」を理想としており、「親北主義」・「民族主義」の色が強いです。

全斗煥政権の1980年から韓国では、民族の自負心を高揚するための「民族主義」と反日感情を煽るための「反日教育」が学校やマスコミなどに行き渡るようになりました。その時代を感受性の高い幼少期・青春期として過ごした世代は強い愛国心を抱き、同時に同じ民族である北朝鮮とは仲良くするべきであるとの考え方を持つようになります。

愛国心とは言っても、政府に対する忠誠とより、自民族を愛するという概念です。韓国政府よりも、民族主義を強調する北朝鮮の政権にもっと親しみを感じるのも自然な流れでした。80年代の反日教育を受けてきた世代は、次第に社会人となり、国家と社会を動かす存在になっていきます。よって90年代の韓国は最も反日情緒が強く、北朝鮮に対して融和的な時代でした。

そういうわけで、今の40代から50代半ばまでは左派政権に対する支持率が高いです。

それに対して、20・30代の方は、民族主義の色は比較的薄く、代わりに個人主義の傾向が強いです。理由として挙げられるのは、日本文化の解禁、グローバル時代への突入、個人レベルの情報力の上昇があります。

日本文化の解禁

2003年から当時の金大中政権は、日本映画の輸入・上映を解禁しました。以降、徐々に日本文化の流入は増え続け、日本人や日本文化に親しみを感じる韓国の子供たちが増えるようになります。その子供たちが今は20代になっているわけです。

グローバル時代への突入

2000年代に入り、韓国の国民所得は増える一方、国内の大手企業はグローバル市場で勝負をかけるようになります。この二つの要因が化学反応を起こし、海外への留学生が急増しました。海外留学にいける経済的余裕とメリットが増したのです。

海外留学から戻ってきた若者たちは旧世代に比べてより客観的な思考が可能になりました。

個人レベルの情報力の強化

インターネット・Youtubeのおかげで情報量が急増し、若者たちは情報強者になれます。

豊富な知識と情報量は左派の扇動に免疫力を持たせました。


こういった理由で、今の20・30代は、民族主義よりも個人の幸福を重視するようになりました。南北統一よりは現在の繁栄を持続することがもっと大事です。それは、親米主義へと繋がります。

今、韓国の経済が豊かになれたのは、駐韓米軍の存在が絶大ということを若者たちは理解しています。そんな状況の中で、米国を遠ざけて北朝鮮・中国に偏る政策は許すわけにはいきません。それが多くの若者たちの本音でしょう。











2021年5月1日土曜日

在日韓国人野球選手たちのKBO進出

 

前回、1982年の韓国プロ野球リーグ発足について語りましたが、今回は、玄界灘を渡って韓国プロ野球に進出した在日野球選手たちの話をしようと思います。

 

韓国プロ野球の元年である1982年、既に白仁天・金彦任重といった二人の日本プロ野球経験者が監督として参加していましたが、現役の在日野球選手の韓国プロ球団への入団はありませんでした。まだ、在日選手を受け入れる制度も整ってなかったのです。

 

白仁天は、監督兼選手として活躍しましたが、彼の場合、北朝鮮生まれで、朝鮮戦争の後、韓国に定着したケースで在日ではないです。

在日選手の韓国プロ野球チーム入団の道が開いたのは、翌年の1983年でした。

発端は、張本勲氏がKBOへ「日本プロ野球を解雇された在日野球選手たちを韓国球団が受け入れてくれないか」と打診したことです。

 

1982年に広島カープから解雇された福士敬章が現役続行を希望し、韓国プロ野球へ移籍したいと張本に相談したところ、KBO(韓国プロ野球委員会)に顔がきく張本がつなげってくれたのです。続いて、同じく広島から解雇された木山英求・木本茂美と阪神の宇田東植も加わります。

4名の在日プロ野球選手が韓国プロ野球団へ入団することになったのですが、当時、KBOは前年度の成績順で1球団2名ずつ契約交渉権を与えました。最下位だった三美スーパースターズが福士・木山の交渉権を、6チーム中5位だったヘテタイガースが木本・宇田の交渉権を得ました。これを契機に、1984年からは各チームは2名までの在外同胞を試合エントリーに登録できるというルールが策定されます。

 

話を在日選手受け入れの元年である1983年に戻すと、当年で一番活躍したのは、断然福士投手でした。彼は60試合に登板し、427.1イニング44先発36完投6完封、30166セーブというすさまじい成績を残したのです。

                 

                 三美スーパースターズの福士投手(1983年)

1982年の韓国プロ野球リーグは、チーム当り100試合をこなしていたので、福士はチームの全試合の60%に登板したことになります。今では想像もつかない酷使です。

彼は三美と契約金1,500万円、年俸2,500万円と日本円ベイスの契約を結んでおりました。税金を球団が負担する条件だったので、手取り4,000万円になり、寧ろ日本時代よりも良い待遇でした。

福士はこういった人間離れの実績を上げ、当然ながら1983年ペナントレースのMVPも獲得します。30勝で最多勝、220奪三振で奪三振も1位を取りましたが、防御率だけは2342位に止まります。福士の投手三冠を阻止したのは、MBC青龍の河基龍投手でしたが、彼の防御率は2.3365です。福士の防御率も正確には2.3375だったので、当時KBOルールによれば、小数点以下3桁で四捨五入して、二人とも2.34の防御率になるはずでした。ところが、MBCは異議を唱えたのです。防御率タイトルの順位を争う場合は、四捨五入せず、小数点以下3桁までも比較するべきだと主張し、それが通ったのです。

そんなわけで、福士は僅差で三冠王を逃しましたが、河基龍が投げたイニング数は173.2に過ぎませんでした。427.1イニングを投げて防御率2.34を記録した福士とは中身の濃さでかなりの差があるものでした。

 

1983年、チーム当り100試合を行っていた韓国プロ野球リーグは、徐々に試合数も増え、今はチーム当り年間144試合を行うようになりました。然し、試合数が増えても、福士が成し遂げた年間30勝は、未だに破られる気配もありません。韓国では、今後二度と出てこない伝説の大記録と言われています。