日本以外にアジアで野球が盛んな国といえば、まず韓国と台湾が挙げられます。
他のアジアの国々は野球が浸透していなかったのに、なぜ、この両国だけに野球が定着したでしょうか?
それは、両国が戦前日本の統治下にあったためです。
野球の人気が高い日本の影響を受けて、統治下の韓国(朝鮮)と台湾には多くの学校に野球部が創設され、甲子園にも参加していたのです。
又、日本の統治下ではなかった「満州帝国」の学校も甲子園に参加していました。
朝鮮と満州が1921年から、台湾はその2年後の1923年から甲子園の予選に参加を始め、1940年まで続きました。
2015年に日本でも公開された台湾映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」は、1931年の大会で準優勝を果たした「嘉義農林」野球部の物語です。外地の学校としては「嘉義農林」の準優勝が最高成績でした。
韓国勢としては、釜山商業(1921年)、徽文高普(1923年)、京城商業(1934年)が成し遂げたベスト8が最高成績です。
ところが、韓国では、戦前の甲子園のストーリーを扱う文学作品や映画などが未だに見当たりません。理由は、台湾と違って反日情緒が強いからです。今の韓国では野球が国内人気ナンバーワンのスポーツなので、その国民的スポーツが日本から伝わったと明かすのは、反日の人々にとってはとても不都合なわけです。
それで、韓国のマスコミや学校では、アメリカ人の宣教師「Gilbert」が1905年に始めて野球を朝鮮半島に普及したと教えています。
2002年に韓国で製作された映画「爆烈野球団!」は、こういった捏造された歴史認識の下で造られたものです。
Gilbertが当時、朝鮮半島で野球試合を行った記録はありますが、あくまでも単発的な行事に過ぎなく、野球を普及したとは言えないです。
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