2021年1月7日木曜日

檀君朝鮮は実在したのか ①

 


韓国の教科書及びマスコミでは「半万年の歴史」という表現を決まり文句のように使う。

韓国の歴史は半万年、すなわち5千年も続いているということだが、あの中国ですら、「4千年の歴史」と言っているのに、「5千年の歴史」とは、始めて耳にする人には「随分行きすぎているのではないか」との感想も多いだろう。

 

ここでは、多くの韓国人が「半万年の歴史」と主張している背景とその根拠について語りたいと思う。

 

まず、約5千年という計算は、どこからカウント開始しているのか?

古代国家の朝鮮(韓国の史学界では、李氏朝鮮と区別するため、古朝鮮という)は紀元前2333年に建国されたとの前提から「半万年の歴史」が成立している。

紀元前2333年に朝鮮が建国されたという話は、高麗時代の13世紀に僧侶の一然1206 - 1289年)が書いた「三国遺事」を根拠としている。

当書には、「檀君王倹は、唐高·唐堯(堯帝)が即位してから50年になる庚寅年に平壌城を都とし、国名を朝鮮と定めた」と書いてあり、ここでいう朝鮮を今は檀君朝鮮と呼んでいる。

 

そもそも、は歴史上の人物というより、神話の人物なので、その即位年度なんか判るわけがないが、中国北宋の儒学者邵雍は堯帝の存在を信じていて、即位年度を紀元前2357年と推定していた。そこから50年後に檀君朝鮮が建国したとの説である。

 

然し、紀元前2357年の50年後は紀元前2307年になるはずなのに、なんで、紀元前2333年になったのか?

高麗を継ぐ李氏朝鮮の中期になると、「三国遺事」を元ネタとし、檀君朝鮮の概念を含めた史書がいくつか書かれた。1484年に編纂された「東國通鑑」もそのひとつである。

紀元前2333年という話は、この「東國通鑑」が出典になる。「東國通鑑」には、なぜかぴったり50年ではなく、少し計算をずらしている。

 

「三国遺事」は当時、高麗に伝来していた民間説話を集めたのと中国の史書から引用したものをミックスした内容となっており、正確な歴史的記述ではない。

当書は、朝鮮半島のいろんな古書を引用したといっている。例えば、国史、古記、三国史などの古書が引用書として登場するが、これらの史書が当時、本当に存在していたのかも怪しい。よって、内容の一部は一然の創作ではなかったのではないかと思われている。

 

檀君朝鮮の存在も、民間伝承の檀君説話を一然が用いて創作した可能性が非常に高い。その理由としては、中国や日本の史料をクロスチェックしても檀君朝鮮の存在や関連引用書を裏付けるものが何も見つからないからである。



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