紀元前108年に衛氏朝鮮を滅ぼした後、漢は朝鮮半島の中部・北部に漢四郡を設置し、直接支配を始めた。
上記地図にご覧のように漢四郡の領域は現在の北朝鮮と大部分が重なる。韓国の所謂民族史学界では、漢四郡が現在の中国領土の中に位置していたと主張するが、裏付ける史料は乏しく、最近では韓国内でも「歪んだナショナリズム」として避難を受けることが多い。
楽浪郡・真蕃郡・臨屯郡・玄菟郡の四郡は後に原住民勢力の抵抗に遭い、真番郡・臨屯郡が紀元前82年に廃止され、玄菟郡も107年に廃止される。楽浪郡だけは、313年まで続き、420年も存続する。又、玄菟郡が廃止になった後、204年には帯方郡があらたに設置され、楽浪郡と同じく、313年まで続いた。
楽浪郡により、朝鮮半島に中国の文明・礼節が根を下したといえるし、楽浪郡直轄の人民たちの思想や精神は、後の朝鮮半島に存在した国々の人たちへも継承されていったと思われる。韓国の歴史において源流と称しても過言ではないだろう。
衛氏朝鮮が滅びた後、歴史上に登場するのが濊である。
「史記」朝鮮列伝には、「衛氏朝鮮の右渠が真番や芳衆国が天子に謁見 したいと欲して上書 してもこれを抑えて取り次がないという」と書いてあるので、濊は当時、真番・臨屯の地に居住しており、衛氏朝鮮に服属していたと思われる。漢が衛氏朝鮮を滅ぼしてからは、漢四郡の下で納税を担いながら服していたが、徐々に勢力を拡大し、独立の色を帯びるようになる。
濊の他に、貊と称されることもあるが、特に高句麗は貊と呼ばれた。
濊と貊が別々の種族だったのか、同類だったのかについては、学界での意見が分かれており、定かではない。とにかく、これらを総称して、濊貊族とも呼ぶ。
夫余・高句麗・沃沮・東濊は濊貊の国々だと思われる。
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